風の戯え 「あ」 廊下を進む途中で突然立ち止まったイヅルに余所見をしていた恋次はぶつかってしまった。 イヅルの後頭部に顎をしたたかにぶつけ、はからずとも涙目となってしまった恋次は、鋭い目つきをさらに鋭くしてイヅルを睨む。 「何してんだよ。急に立ち止まんな」 「ごめん。でも、ほら」 文句を言う恋次に謝って、イヅルは窓の外を指差す。 「え?なに?あ!さん!」 廊下の窓、開け放たれたその向こうに見つけた人物に、一緒にいた雛森が気付き歓声を上げる。 「何だと!?」 恋次もその名に素早く反応して窓枠にしがみつくものだから、間に挟まれる形となった雛森とイヅルは「きゃ」とか「ぐえ」とか 声を上げることとなった。そんな三人の視線の先には、校庭をのんびりと横切るの姿がある。 その姿はいつもの死覇装姿ではなく、紅い着物を召している。遠目に見ても判る姿勢の良さだとか、洗練された立ち居振る舞いに、 三人はしばし見惚れる。通り過ぎる学院生に頭を下げられたりきゃーきゃー言われたりしながらはゆっくりと角を曲がっていく。 「やっぱり素敵……」 ぽうっとなって雛森が呟き、イヅルは憧れを眼差しに込めつつその姿を目で追う。 「学院に何か用事かな。もし用が済んでるんだったら少しお話しても構わないかな」 「吉良!そういうことは早く言えっさん行っちまうだろ!」 「本当!大変吉良くんっ早く追いつかなきゃ!!」 「え、えぇっ!?」 ぼんやり呟いたイヅルだったが、言い終わる前に恋次に襟首を掴まれ、次の瞬間には窓から宙を飛んでいた。 イヅルの悲鳴が辺りに木魂して、何事かと顔を出す生徒達の好奇の視線が窓の外に向けられる。 恋次はイヅルを持ったまま、雛森は身軽にひらりと着地すると、慌てて先程が向かった方向へ走り出す。 「ちょ、ちょっと阿散井君!」 「うるせーっ黙って引き摺られてろ!」 「そ、そんな」 抗議をしようにも取り合ってもらえず、イヅルはざりざりと踵を引き摺ったまま走る恋次に持たれたままだ。 「さん!」 校舎の角を曲がったところでようやくその背を見つけ、雛森が声をかけると、件の人物はゆっくりと振り返った。 「おー桃ちゃんに恋次にイヅルじゃないの。って、イヅルおまえどうしたの?妙に埃だらけだけど」 「お気になさらず……」 桔梗色の瞳が三人を捉え、恋次の左手の先にあるイヅルを見て驚いたように目を丸くする。そんな彼にイヅルは疲れたように答えた。 「さん、今日はどうしたんですか」 「ん?ああ、来年の護廷の入隊式のことで打ち合わせをちょっとね」 「その格好は?」 「これはその為の衣裳。そういやおまえら年が明けたら卒業か。見てろよ、この俺が超絶綺麗な舞を披露してやるからな」 紅の地に金糸で丹念に刺繍の施された見慣れない衣裳を身に着けたはとても美しい。 襟に中途に伸びた黒髪がはらはらと落ちかかっていて、色の対比が大層映える。手には白地の薄布を持っている。 これも舞に使うのだろうか。 「うわぁ、本当ですか!楽しみです」 感嘆の声をあげる雛森の頭をよしよしと撫でると、男二人から羨ましそうな視線が送られる。 しかしは「だっておまえら俺より身長高いじゃねーか。イヅルはまだ俺より低いか? でも俺小さい方が好きだしごめんなー」とにっこり笑って静かにさせた。いち早く気を取り直したイヅルがに近況を尋ねる。 「いつもと同じだよ。何にも変わらない。まあここ一ヶ月でギンの阿呆がウチの隊舎に侵入した回数は軽く五十を超えたけどなー…… ルキアちゃんも元気だよ」 遠い目で昔馴染みの奇行を語り、言葉の最後は恋次へ向けて言うと、赤毛の根元まで真っ赤に染めた恋次が 「な、何でそんなこと俺に言うんすかっ!」と慌ててに抗議する。そんな彼をにやにやと見ながらは意地悪そうに口元を歪める。 そんな姿すら、絵になってしまいそうなくらい綺麗だから。 強く言えずに口の中でもごもごと文句を飲み込む恋次にイヅルが同情して肩を叩く。 「そういやおまえら何処に配属されるんだ?」 ふと思い出したように問われ、三人は顔を見合わせる。 「俺は十一番隊。ここが一番自分の力を磨けそうだからな」 最初に答えたのは恋次だ。 「ふむふむ。更木の剣ちゃんは顔は恐いけどいい人だよ。ちょっとやんちゃで寝起きに寝惚けて隊舎を半壊させるぐらいお茶目だけどな」 「……それ、お茶目の範疇に入れていいんすか…?」 があの泣く子も黙るという十一番隊隊長を『剣ちゃん』と呼んだこともそうだが、 それよりも隊舎半壊を『お茶目』と言い切る方に引っかかりを感じて半眼で問い返せば、軽く無視された。 「桃ちゃんは?」とはおさげ髪の少女を見下ろせば、雛森は反射的に背筋を伸ばして瞳をきらきらさせながら興奮気味に答える。 「あたしは五番隊、藍染隊長の所です!」 「五番隊に配属されるのは雛森君の夢だったからね」 「うん!」 誇らしげに頷く彼女には「……そっか。頑張れよ」と優しい手つきで又もや頭を撫でた。 の繊細な指に触れられて、雛森はくすぐったそうに瞳を細めて頬を染めた。 「僕は三番隊です」 最後にイヅルがそう言うと、は雛森を撫でている時の笑顔のまま全ての動きを止めた。 「さん?」 雛森が不思議そうに見上げても、は笑顔のまま一切の動きを止めている。呼吸すらしていないんじゃないだろうか、 と疑うほどに微動だにしない。恋次もイヅルもの様子に首を傾げている。イヅルが「あの、僕何か可笑しいこと言いましたか」 と訊こうと口を開きかけると、がぎぎぎ、と音を立ててイヅルの方を向いた。顔は依然、凍りついた笑顔のままだ。 「イヅル?もう一回言って?何かよく聞こえなかった」 「はぁ……」 絶対そんなことないのに、と思いながらも言われたとおりに「三番隊です」と言い直す。だがは又しても 「ごめん。聞こえない」と言う始末。 「さ、ん、ば、ん、た、い、で、す!!」 一音一音、区切るようにはっきりと音にすれば、は再び固まる。 彼の尋常ではない様子にイヅルがおろおろして両隣の雛森と恋次にどうしよう、 と意見を仰ごうとしたら、がしっと力強く肩を掴まれた。に。 「イヅル……おまえが何をどう血迷って三番隊なんかに志願したのか判らないけど、いいか。 これは忠告だ。三番隊、ギンの所に行くのだけはやめとけ。いいからやめとけ絶対やめとけ。 精神衛生上よくない。つうかおまえ絶対胃に穴開くぞ。俺はおまえの倖せを願ってやまない。 だから三番隊への所属希望は今すぐ取り下げろ」 かつてないほど真剣に自分に言い含めてくるの顔を見ながらイヅルは迫力に気圧されて曖昧な返事しかできない。 するとはつらつらと三番隊隊長の日頃の行いを言い並べる始末。傍で聞いていた恋次も雛森も、それを訊いて 「吉良、さんの言う通りだ。やめとけよ」とか「吉良くん進んでそんな苦労買うこと無いよ」と言い出すようになった。 仕舞いにはイヅル自身も「やめといた方がいいのかな」などと思い始めてしまった。 「はぁーしっかし何だ。おまえら一人ぐらいウチに来たっていいだろ。何だよ今年も十三番隊は新入隊員ゼロかよ」 あーつまんないー初々しい新入隊員で遊びたかったのにー、と口を尖らせて残念がるに三人は曖昧に笑うのみだ。 十三番隊は護廷十三隊の中で一番異動が少ない。何しろ人の好い隊長、威勢のいい副隊長、 そしてがいるものだから誰も彼もが辞めたがらないし、転属希望も出さない。 居心地のいい隊として十三隊中一位の座をここ百数十年守り続けているくらいだ。隊員の誰もが隊長を慕い、 を慕っているその姿は結束力の高い隊として有名だ。勿論恋次も雛森もイヅルも、駄目で元々だ、 と一応は十三番隊への希望を出してみた。しかし結果はやっぱりというか、あっさりとその願いは取り下げられてしまったのだ。 「ま、仕方ないか。とりあえず頑張れよ、三人とも。未来の席官目指して日々精進、ってね」 にかり、と悪戯っぽくウインクを添えてが三人を励ますと、それぞれ頬を僅かに染めつつ元気良く返事を返す。 そんな四人の間を突然風が強く吹きぬけた。 「お?なんか怪しい雲行きだな」 のんびりとが空を見上げている間に予感は的中。すぐに風を伴った雨となった。激しい雨が地面を勢い良く叩きつける。 「あっちゃー降ってきたな」 「さん校舎の中へ入りましょう!」 恋次が言って走り出す。校庭の端の方にいるとはいえ、校舎までは少し距離がある。近くには雨宿りできそうな大きな木などもない。 イヅルも恋次の後に続き、瞬く間に足元に出来た水溜りを跳ね上げながら校舎の入り口を目指す。 「あ、待ってよ二人とも!」 遅れた雛森が駆け出そうと右足に重心をずらすと、ばさり、と頭の上に何かを被せられた。 「え?」 見ればそれは先程までが持っていた薄布で。慌てて隣に立つを見上げれば、桔梗色の瞳が優しく見下ろしていた。 「傘の代わりにはなんないけど。無いよりはマシだろ」 「でも、さんが」 「いいのいいの。さ、走ろう」 笑って手を差し延べた。その手に迷いなく自分の手を滑り込ませると、きゅっと握られる。そんな些細なことが嬉しくて。雨に降られて風に煽られて、髪も着物もぐしゃぐしゃだけど、何だかとても楽しい。走るの横顔を見上げて「吉良くん、阿散井くん。ごめんね」とこっそり思った。隣で子供みたいに雨風を楽しんでいるの顔を、今だけ独り占めしていることに対して。少しだけ罪悪感を感じたから、ちょっとだけ謝った。 |